感動を言葉にする

世の中には無数の娯楽作品がある。

小説、漫画、映画、演劇、動画、絵画、等々。

これらの作品に触れてみると、面白いと感じる作品がある。夢中になってハマり心を突き動かされるようなものがある。

 

しかし、どこがどう面白いのかと説明を求められると言葉にできない。

面白いことは間違いない。時間も忘れて夢中になり、気づいたら一晩かけて一気に読んでしまった小説などもあった。ただ言葉にできないのだ。なぜ夢中になって読んだのか?どこに人を夢中にさせる要素があったのか?いっこうに言語化できない。

 

アマゾンのレビューを見てみると、面白かった作品がレビューされている。そこにはなぜ面白いのかと感想が書かれており、レビューがうまい人の表現を見ると実に巧みな文章だ。読んでない人が読んでみようと思うような力のある文章が書かれている。

自分にはそんな文章が書けない。レビューを読んでみて初めて、「そうそう、そこが面白いんだよね!」と思うが、レビューを読んでみるまではそんな感想が自身から湧き上がることはない。面白い作品に触れたときの感動を言語化できないことにもどかしさを感じる。なぜ言語化できないのだろう。訓練が足りないからなのか。では、どのように感動を言語化できるのだろうか。

 

今まで生きてきて、文章を書くということをほとんどしてこなかった。必要がなかったからということもあるが、そもそも自分には文章が書けないという思い込みもあったのだろう。文章を書くということはなにか特別な才能を持った人たちができることなのだ。きっとそういう人は、幼少の頃から読書感想文や作文が得意だったに違いない。もしかしたら、小説なんかも書いたことがある人もいるかもしれない。大学でレポートや卒論を書くことも、さほど苦ではなかったかもしれない。もちろんレポート・卒論を仕上げるのは大変だろう。だが、文章を書くことに苦手意識を持った人は、苦手意識を持っていない人と比べたらずっと大変だ。

 

文章が書けない。しかし書けるようになりたい。想いを言語化したい。人に自分の好きな作品の良さを知ってもらいたい。作者に自分がどこに感動したのかを知ってもらいたい。文章を書けるようになれば、自身の新たな一面を発見することにも繋がるだろう。文章を書いていると、こんなことを考えていたのかと驚くこともある。そんな驚きも味わいたい。拙くても、想いの十分の一しか語れずとも、感動を語りたい。